【清水 康之】自殺対策支援センター・ライフリンク代表。元NHKのディレクター。自死遺児たちの番組を制作したことがきっかけで、自殺対策の重要性を認識。NHKを退職し、2004年に「ライフリンク」を設立。署名運動や国会議員への働きかけによって「自殺対策基本法」成立に貢献。自殺対策の「つなぎ役」として全国を奔走中。公式サイト/
http://www.lifelink.or.jp/
聞き手:山田エイジ/構成:松澤有紗
自殺対策は、「生きる支援」なんです。
山田
清水さんがライフリンクをたちあげられたきっかけを教えていただけますか?
清水
もともとはNHKのディレクターをしていたのですが、親を自殺で亡くした子供たちを取材したことがきっかけで、自殺の問題は非常に深刻だと、初めて私自身も理解しました。それにもかかわらず対策が動いていないという中で、テレビ番組を作っているよりも現場に入った方が、いろいろとやれることがあるんじゃないかと確信し、NHKを辞めてライフリンクを立ち上げました。
山田
具体的にどういう深刻さがあるのですか?
清水
自殺というと、自ら命を絶っている、身勝手な話だと思われがちなんですが、実は取材をすればするほど、自殺の多くは追い込まれた末の死であると。借金とか過労とか、介護疲れとかいじめとか様々な問題をかかえこんで、もう生きられない、死ぬしかないという中で亡くなっている人が多いということに気づいたんですね。
ですから、自殺対策と言った時には、死んだらダメだと頭ごなしに否定するのではなくて、追い込まれて問題をかかえた人であっても、それでも生きる道を選択できるように支援することだと。つまり『自殺対策とは生きる支援なんだ』と気づいて、これはテレビを作っているよりも現場に出た方がやれることがあるんではないかと思ってライフリンクを立ち上げた次第です。
山田
NHKの報道でやれることもあったと思うんですが。
清水
NHKで番組を作り続けるという選択肢も当然あったのですが、ドキュメンタリーや番組というのは、動きがないと伝えづらいというのがあって、私が自殺の問題を取材していた頃というのは、まだそうした動きがほとんどない状況でした。いろいろな弁護士とか精神科医といった人達に『動いてくれ!』、『地域や社会をあげて動いてくれ』と、対策に取り組むような連携をしていってほしいと尻をたたいて全国を回っていたんですけど、なかなか皆さん忙しくてそうした連携はできないと。
いろいろな人達の尻をたたいているうちに、自分自身が一番、いろいろな人達とのつながりができてきたんです。繋ぎ役として活動するのであれば、人の尻をたたいているばかりではなくて、もしかして自分が現場に入った方が、物事を進めていくことができるのではないかと気づいたというか、気づいてしまった中で、『自分がやろう』と、2004年に退職してライフリンクを立ち上げました。
山田
具体的にライフリンクの活動内容を教えてください。
清水
日本社会全体で、自殺対策が回って行くような、社会的な自律軌道に乗せるための仕組みづくりというのが、ライフリンクの活動の大きな目的です。そのためにはなんでもやる、という発想です。社会の啓発もそうですし、自殺対策基本法、自殺総合対策大綱といった自殺対策に対する基盤づくりや、自殺の実態調査、そして、どういう風に各地域で対策をすすめればいいのかといった自殺対策モデルづくりなどです。さまざまなことをやっています。
山田
ロビー活動的なことも?
清水
そうですね、自殺対策を社会全体で進めていくようにするには、法的な枠組みであったり、国の様々な施策が必要だったりしますので、施策を決定する人達に対して働きかけをして、現場が今何を必要としているのか、それが行われる事でどれだけの命が救われるのか、ということを理解してもらうための働きかけをおこなっています。
例えば自殺は、「失業」「生活苦」「多重債務」「うつ」という四つの要因の連鎖でおこる。
山田
自殺というのは、自殺という事実だけではなくて、追い込まれた結果だとおっしゃっていましたが、そうすると対策は多岐にわたっていく気がします。具体的な自殺対策というのはどういうものなのですか?
清水
私たちが遺族と協力しておこなった調査によると、自殺で亡くなった人は平均で4つの要因をかかえているんです。例えば、失業者であれば、失業、生活苦、多重債務、うつ、という4つの要因を抱え込んで、『もう、生きられない、死ぬしかない。』という状況で亡くなっていっている。
ですから、そうした自殺は要因が連鎖して、プロセスで起きているので、そのプロセスに対応する形で、相談機関が連携する、あるいは支援策を連動させる。そういう風にして、これまでバラバラにおこなわれていた自殺の背景に対する様々な要因に対しての取り組みを自殺の連鎖に合わせる形で、プロセスとして対策もおこなっていくような連携づくりです。
地域地域によって、自殺でより多く亡くなっている人は異なっていますので、失業者向け、労働者向け、高齢の女性向け、若年者向けなど、地域の実情にあった連携をしっかりやって、生きる支援を包括的におこなっていく、そのための仕組み作りが必要なんだと思います。
山田
あ、地域によってちがうんですね。
清水
例えば、東京の新宿区であれば20代、30代の女性の自殺が多いです。愛知県の豊田市では、男性の労働者の自殺が多い、京都市の左京区では、学生の自殺が多い、といったように、年間の自殺者は日本全体で3万人ぐらいの人が亡くなっているわけですが、各地域をみていくと、亡くなっていく人の人数も違えば、性別、年代、職業も違います。こうしたことを明らかにして、その上でそれぞれの地域で実態に即した対策をたてていくことが大事になっています。
山田
なるほど。自殺者の数が3万人というのは、日本は世界でもトップレベルで、今、順位もあげたんですかね?
清水
今は、世界で8番目に高いという状況ですね。
山田
先進国だと?
清水
先進7カ国の中では、日本がダントツで自殺率が高い。アメリカの2倍、イギリスやイタリアの3倍となっています。
山田
どうして日本はそんなに自殺が多いんですか?
清水
一つこれだという原因があるわけではなくて、経済的な問題であったり、価値観ですね。『生産性のない人間は価値がない』、『弱音をはいてはいけない』というような。そうした問題を抱えやすくて、その一方で解決にいたるプロセスが、非常に複雑になっている。
単純にいうと、なにか問題を抱え込んだときに、どういう風にして解決すればいいのか、問題を抱えた人と解決策の間に非常に深い溝ができてしまっていて、セイフティーネットとして十分に機能していないということがあると思います。
社会システムの変化に、日本のセーフティーネットが追いついていない。
山田
日本の戦後、高度成長時代を経て、社会システム全体の変化も関係しているのでしょうか。
清水
経済が右肩あがりの成長を続けていた時には必要なかったようなセイフティーネットが、今、社会では必要になってきています。それは、これまで想定していなかったような形で、問題を複合的に抱え込んで、『もう生きられない、死ぬしかない』という状況に追い込まれている人達がたくさんいます。そういう人達のためのセイフティーネットが十分に整備されていない、機能していない中で、追い込まれて亡くなっている人達が多いのです。
日本の場合、年間の自殺者数は、1997年まではだいたい2万人の前半台で推移してきたのが、98年に一挙に8000人以上増えて3万人を超えて、そのまま高止まりを続けてきたという状況なんです。
高止まりを続けてきたというのは、それだけ対策が放置されてきた、必要とされている手が打たれてこなかった、ということです。これは2013年ごろからなだらかに減少傾向に入ってきていて、昨年、15年ぶりに年間自殺者が3万人を下回るということにはなったのですが、まだ、整備しきれていない、支援策を必要としている人に支援策を届けきれていない状況があります。依然として非常事態は続いているという事だと思います。
山田
97年、98年というのは、何があった年でしたか?
清水
97年の秋に三洋証券や、北海道拓殖銀行が経営破綻におちいって、山一証券が自主廃業に追いやられました。その年度末、つまり98年の3月に日銀の短観が急激に悪化して倒産件数が跳ね上がり、完全失業率が初めて4パーセント台に乗って、そうした社会状況の悪化に引きづられるようにして、日本の自殺は急増に転じた、3万人を突破したということです。
山田
格差社会というのが言われ始めた頃だと思うのですが、それに比例して増えて行くイメージはありますか?
清水
社会状況の悪化に引きづられるようにして、日本の自殺は急増に転じ、高どまりを続けてきたということは、つまり、その社会状況が悪化したことへの手だてが打たれてこなかった。セイフティーネットが新たな形で必要とされてきたのにも関わらず、それが作られることはなかった、ということだと思います。
山田
新たな形とは、具体的にどういうことですか?
清水
これまで想定していなかった形で、社会的に弱い立場に追い込まれる人達が増えてきています。中高年の男性というような、社会的に非常に強い立場にある人達だと、ひとたび、仕事を無くして、生活が苦しくなった時に、そういう人達を支援するための制度や仕組みがなかったんです。
97年以降、大量に中高年の男性が失業し、あるいは事業不振に陥って会社が倒産する中で、経営者が生活上の困難に陥っている。生活がたちいかなくなる中高年の男性が大量に社会に放り出されて、そういう人達の支援が十分に間に合わない中で、日本の自殺は急増に転じました。ですから、年間3万人近い人が自殺で亡くなっている、その4割が40代から60代の中高年の男性になっているということです。
山田
新たな形とは、具体的にどういうことですか?
清水
経済を活性化させていくということは、私は絶対に必要とは思いませんが、活性化した方がいいだろうと思います。ただ、活性化させるために必要なことというのは、大企業を刺激することよりも、むしろ、万が一、仕事を失っても誰でも安心して暮らせる環境作り、生きる条件整備があって初めて、社会全体の活力というのはわき上がってくるんだろうと思うのです。
『自分が仕事を無くしたら、どうなるかわからない』あるいは『自分が仕事に就けなかったら、どうなるかわからない』というような、不安におびえながら生きる人達が増える社会というのは、活力も失われるし、結果的には経済的な成長もなかなか望めなくなると思います。
経済の成長をうながすのであれば、その手段として、まずは私は、だれもが安心して生きられる条件作り、誰もが自殺に追い込まれることがない社会作り、そこから始めていくことが結果として経済成長にもつながるし、社会に暮らす一人一人の幸福度や、生きごたえのある社会にしていくことができるのではないかなと思います。
経済を発展させようということに異議はありませんが、ただ、その手段として、本当に大企業優先でやっていくのが正しいのかどうかというと、決して私はそうは思わないです。むしろ、普通の一般の人達が安心して普通に暮らせるというところから、いろいろな活力やチャレンジが生まれてくるのではないかなと思います。
山田
誰もが安心して働ける環境というのは、僕もいいなぁと思っていて、じゃあ、具体的にどこからどう変えていったらいいんでしょうかね?
清水
一つ何を変えればいい、という万能薬はありませんので、これはいろいろなことを変えていかなければならない。例えば、教育でいうと大学に入る事が目的化してしまっている教育システムを変えるということも長期的には必要だと思います。
なぜ、小学校、中学校で勉強するのか、という時に、子供たちは『いい大学に入るため』という風に教えられる。高校に行ってもいい大学に入るためにと。でも、大学に入って、その先どういう仕事をしていくのかという時に、多くの学生達は就職活動を始めて、ようやく自分はどういう仕事に就こうと思うのか、あるいは自分はいったい何をやりたいのか、と考え始めるんです。
その段階で考え始めても、納得のいく就職活動というのは送れない。しかも、一回新卒で採用されないと、その後なかなか採用してもらえない、という状況。自分が社会でどうやって生きていくのかということをもっと小さい頃から考える機会を設けていくような教育のシステムにしていかなければならないと思います。
一方、実社会に出たときに、どういう風に誰もが安心して暮らせるようにするかということに対しては、誰かからお金を集めて誰に配るのか、というのが政治の基本だと思うのですが、その富の再配分が日本ではうまくいっていないと思うのです。
貧困率がひろがっているというのは、つまり、本来であれば、弱い立場にいる人達と、社会で強い立場というか経済的に恵まれている人達とのギャップを埋めていく方向に施策を展開していくべきだと思うのですが、日本の場合は残念ながら、それが機能していないですね。
どんどん格差がひろがっているという現状がありますので、その格差がひろがらないような施策をうっていかなかればならない。そのためには教育の改革もあるでしょうし、最低賃金の引き上げ、社会保障に派遣の人も入れるようにするなど(今は少し変わってきていますが)の方法があります。
大企業とか、高額所得者を優先させるのではなく、まずは市井の人達の暮らしを安定させるための社会保障の整備、賃金の引き上げ、そうしたことを社会がやっていくような政策誘導にしていく必要があると思います。
自殺対策は「命を守る」と同時に「経済対策」にもなりうる。
山田
政権が自民党政権に変わりました。自殺対策をすすめる上で、アプローチの仕方は変わりましたか?
清水
いろいろ政党がありますが、政党を作っているのは一人一人の国会議員なので、国会議員の中には、国民の暮らしや命を守りたいという思いで、議員活動を続けている人もたくさんいますから、そういう人達とどういう政策が安心、安全な社会を作る方向に寄与するのか議論をしていく、そこで一回議論が決裂したからといってあきらめるのではなく説明をしていく、理解を共有していくことが大事なんじゃないかと思いますね。
加えていうと、2009年に、厚生労働省が発表したデータですけれど、鬱病とか自殺による経済的な損失、どれだけ社会が経済的にお金を失ったかという逸失利益は、1年間に2.7兆円にのぼるのです。
ですから、自殺対策に取り組むっていうのは、かけがえのない命を守るだけでなく、社会にとっても得なんだよ、ということです。経済合理的観点から考えても、人の命を守る、自殺対策や鬱対策をやっていくことは、得なんだよ、という説明を尽くしていかなければならないだろうと思います。
命を守る、暮らしを守る、という理念だけを伝えようとしても、その一方で自己責任だという人もいないわけではないので、自己責任だという人に対しても届く言葉を、私たちは作っていかなければならないと思います。
それは一つには、経済的にだって命を支援した方が得なんですよ、と。安心安全の社会を作った方が、活力も生まれて新たな挑戦も生まれてと、社会全体にも、経済的にもメリットがあるんですよというような説明で、相手の土俵にあがって勝負をするということも必要だと思っています。
山田
自殺対策としてもソーシャルインクルージョン的な視点が必要ですよね。
清水
自殺というのは、多くの人が本当は生きる事を望みながら、『もう生きられない、死ぬしかない』という中で亡くなっているんです。決して死にたい人が自殺で亡くなっているわけではない、あるいは、自殺しそうな人が自殺で亡くなっているというわけではないんです。
そうすると、誰が自殺に追い込まれるかわからない、誰が自分の大切な人を自殺で亡くすかわからない、という時代になってきているんだと思います。
そういう風に、誰かが追い込まれる社会、誰かが自殺に追い込まれかねない社会というのは、もしかしたら、自分が自殺に追い込まれかねない社会でもあるし、自分の大切な人達がそういう形で亡くならざるをえないかもしれないという社会でもあるのです。
誰も置き去りにしない社会というのはつまり、自分も置き去りにされることがないし、自分の大切な人も置き去りにされることもない社会ということです。いつ立場が入れ替わるかわからないという不安定な時代の中で、ソーシャルインクルージョンというのは、つまり、誰をも包摂する、誰をも置き去りにしないということで、ある特定の人を置き去りにしないということではなくて、自分も置き去りにされない、自分の大切な人も置き去りにしない、そういう社会作りだと思います。これは今の時代にとっては、自分のためにも、あるいは隣りや周りの友人、知人、自分の大事な人のためにも、必要な考え方だと思っています。
山田
しかし、その概念は、経済成長だとか、給料が増えるというような簡単な指標がないので、すごく伝えづらいと思うんですよ。清水さんがやられていることもそうだと思うんですけど、そんな考え方を社会に浸透させていくには何が必要ですか?
清水
おそらく、ソーシャルインクルージョンであったり、誰も置き去りにしない社会っていうのは、結果的に見えてくるものであって、それを実現するための手段というのは、かなり具体的なそれぞれの分野における取り組みなんだと思うんですね。
その具体的な取り組みをいろいろな分野でやって行く時に、自分の目の前の問題にだけ目を向けるのではなくて、いろいろな分野でやっている取り組みが一緒になって、それが連動していくことによって、ソーシャルインクルージョンが生まれてくる、誰も置き去りにしない社会を実現することができるという。
ですから、なかなか到達しないまでも、それを目標として理念として掲げながら、あとは具体的な個別の課題を一つ一つ解決していく。それぞれの分野の取り組みをいわば、繋ぎ合わせるような、理念でまさにくるむような、そういう考え方がソーシャルインクルージョンだと思いますので、これはすぐには実現しないけれども、そういう社会を目指そうねという合意があれば、あとは個々の分野の取り組みを強化していくことによって、いずれ、実現させることができる概念、考え方だと思っています。
自分の限界は、自分で決めない。
山田
清水さんが、ソーシャルアクティビストとして心がけていること、モットーを一言でいうと何ですか?
清水
『自分の限界は自分で決めない』ということですね。
動けば動くだけ、いろいろな壁にぶつかったり、あるいはいろいろな人からいろいろなことを言われたり、反対意見というか障害にぶつかるので、ぶつかってから考えればいいわけであって、自分の中でこれは無理だなとか、あれはちょっと実現が難しいかな、という風には考えずに、やるべきことがあるのであれば、それを実現するために全力を尽くしてみる。
もしかしたら出来ないかもしれないと思っていたものが出来ることもあるだろうし、それはいろいろな人達の出会いだったり、いろいろな運だったりで出来ることもあるだろうし。ただそれを、自分で限界を決めてしまえば、そこまで止まりで、それよりもっと手前のところで止まってしまいかねないので、『自分の限界は自分で決めない、やるべきだと思う事は、とにかく一直線でそこに向かって突き進んでいく』ということを心がけています。