ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)研究の第一人者、中央大学教授宮本太郎さんにお話をうかがいました。
聞き手:山田エイジ/構成:山中康司
ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)を一言で言うと?
社会的に排除された人たちを、単なる「保護」ではなく、その社会参加と経済的自立をうながすことで、誰もが生きやすい社会にしていくことです。
ソーシャルインクルージョンが注目されてきた歴史的経緯を教えていただけますか?
第二次大戦後、社会保障のシステムは、男性正社員の安定した雇用による経済成長を前提にしていました。男性正社員が働き、専業主婦の妻や子供を支える。そして彼らを会社が支えるというのが「20世紀型の福祉モデル」。
ところが、グローバル経済や競争社会の進展によって会社や家族やコミュニティが不安定化して、そのモデルからこぼれる人たちがたくさん出てきた。具体的には、移民、失業者、貧困層、障害者、高齢者、女性です。
イギリスだとサッチャー、アメリカだとブッシュの頃の新自由主義的な政策を押しすすめた結果、格差がひろがった。さらに高齢化がすすみ、ニートなど自立できない青年層も現れました。
その状況を変えていくために90年代前半あたりから、排除の要因(技能の欠落、家族ケアの必要、コミュニケーション能力の不足)を解決しながら、人たちの社会参加と就労を拡大していこうというソーシャルインクルージョンが注目されるようになりました。
その後どうなっていったんですか?
国によって、ソーシャルインクルージョンへのとり組み方は違います。 フランスでは『アクティベーション型』といって、排除された人たちに対して教育やリハビリのできる「居場所」をつくっていき、その上で働ける人は就労していき、もしつらい状況になったら、その「居場所」に戻っていくというような双方向なイメージです。
一方、イギリスやアメリカでは、生活困窮者をいかに労働市場に結びつけるかという文脈で出てきた。『ワークフェア型』といいます。例えば、働くこと、あるいは職業訓練を受けることを条件に福祉を提供する、という感じです。働く側発想なのか、企業側発想なのかによって、ソーシャルインクルージョンの考え方は分かれていくんです。
ソーシャルインクルージョンって多様ですね。
はい。だからこそ国の規制を緩和して企業の活力をあげていくことを重視する「新自由主義陣営」にも、労働者の権利や社会福祉を充実させることで社会全体を豊かにしていくという「社会民主主義陣営」にも、ソーシャルインクルージョンという考え方は受け入れられていきました。
EUでは、ソーシャルインクルージョンが成長戦略の一つとして掲げられてると聞きました。
はい。2010年に発表されたEUの成長戦略「ユーロ2000」では、ソーシャルインクルージョンの具体的数値目標が掲げられました。2020年までに8000万人の貧困層のうちの2000万人を脱却させるという。これは画期的なことです。
日本ではどうですか?
社会的に排除されて孤立化した人たちには、つながる場が必要なんです。そこで人に認められることで自信がもてるようになり、社会に自分から関わりたいと思うようになる。そのニュアンスが伝わるとてもいい言い方だと思います。
居場所と出番とは?
日本でとくにソーシャルインクルージョンが注目されたのは、小泉政権の新自由主義的政策を受けて、格差がより「見える化」された頃。「ワーキングプア」や「年越し派遣村」など。政権の言葉となったのは、民主党政権から。鳩山政権が誕生した時に演説草稿を書いた劇作家の平田オリザさんはソーシャルインクルージョンの概念を「居場所と出番のある社会」と表現しました。さすが劇作家という感じで、とても的確にソーシャルインクルージョンを言い当てています。
しかし残念ながらその言葉は現在の政権では禁句です。民主党の言葉ですから。二大政党制の宿痾といいますか、前政権の使った言葉はタブーになるというのはどうなんだろうって思います。いいことはいいと継承すべきです。
例えば、「新しい公共」という考え方。NPOや社会的企業を盛り上げていこうという流れも、なんとなく今は大きな声で言えない感じです。実は昔の自公政権の時に言われていたことを民主党がパクッたと言ってもいいのに、パクられ忘れたっていうのかな(笑)。
経済成長を掲げる今の日本に、ソーシャルインクルージョンは必要ですか?
必要です。非常に不安定で家族をもつことさえ困難な非正規労働者は、3割にも達しています。
一方、正社員もがんばらなければ仕事を失うかもしれないというストレスにさらされ、過酷な労働を強いられています。これからさらに少子高齢化もすすみ、2020年には3人に1人がシニアとなります。生活保護受給者も増加の一途です。
つまり、社会的排除の状況は、今日の日本では、すべての人に当てはまる可能性がある。ソーシャルインクルージョンは今日の日本にこそ必要です。もう誰かを排除してる場合じゃないんです。ワークシェアをすすめて、みんなで社会全体を支え合っていくしかないんです。
最近の国の進む方向は?
今の政権のスタイルは、60年代前半のイメージですね。高度経済成長期にオリンピックがあり、企業が倍々ゲームをやって所得が何百万増えたみたいな。安倍総理は、「世界でいちばん企業が活躍しやすい国へ」というスローガンを掲げています。まず企業が儲かる。それによって労働者や社会が潤っていくという考え方です。
しかし今非常に重要なことは、企業の利益が社会に還元されていく回路が壊れてしまっていることです。回路が壊れてしまっている以上、会社ではなく、社会の方を底上げしていくしかない。若い人たちが会社以外で力をつけることができたり、排除された人たちに保護ではなく社会参加できる力を提供することで、底上げ型の成長が必要なんです。まさにソーシャルインクルージョンは成長戦略なんです。
具体的に今日本で動いているソーシャルインクルージョン事例は?
日本でもようやく中間的就労が注目されはじめました。中間的就労とは、働けなくなった人たちに就労体験的なボランティア活動をしてもらうことで本格就労につないでいくもの。
いま私がずっと関わっていた「生活困窮者自立支援法」が今国会で成立する見込みなのですが、まさにこの法案は、ソーシャルインクルージョン社会を実現していく第一歩になると考えています。
具体的にどんな法案ですか?
様々な事情で働けていない人たちを生活保護受給者にするのではなく、それぞれの状況に合わせた中間就労を実現したり、学習支援をしたり、様々な方法でバックアップして社会参加につなげていく画期的な法律です。
ただこの法案で残念なのが、生活保護費を切り下げるエクスキューズとしてやるんだろうと反貧困系の団体に批判されていることです。なかなか本意が伝わっておらず、残念ですね。それとは切り離して考えてほしいのですが。
これから日本は、どんな社会にしていくべきと考えますか?
ヨーロッパで最近注目されているのが、「フレクシキュリティ」という考え方。「フレキシビリティ」つまり柔軟性と「セキュリティ」つまり安心という言葉を足した造語です。それはどういうことかと言いますと、柔軟な労働市場と離職期間の所得保障、さらには公共職業訓練を連携させるという考え方です。
雇用の流動化をすすめるのはいいけど、きちんと辞めた人が再チャレンジできる教育の場をセットにしていこうというものです。
デンマークでは労働者の3人に1人が一年の間に仕事を変えるんです。 なぜそれが可能かというと、セキュリティがあって失業保険給付や雇用の外で生活を支えることができる条件と公共職業訓練がしっかりしているからなんです。日本では会社の中で社員を鍛える、だからそこを離れるとアウトになってしまう。
日本でも労働市場を会社が囲い込むのではなく、もっと自由に会社との関係がつくれるものした方がいいと考えています。今まで通りの日本的経営を守れ! みたいな話もあるんですが、それだと包摂できない人たちが出てくるんです。解雇された人や非正規労働者や女性とか。
例えば、正社員の労働時間を短縮する一方で、非正規労働者や失業者への就労の機会をひろげたり、日本でも欧米のように同じ仕事は同じ賃金、つまり「同一労働同一賃金」が実現できればワークシェアがすすむむと思うんです。それによってワークライフバランスも改善されていく。そっちの方が社会全体として考えた時に豊かな社会って言えるんじゃないでしょうか。
さらに言うと、日本は、教育、雇用、社会保障という順番に一方通行なんです。大学を卒業したら企業に入って、退職したら社会保障のお世話になるという。基本的に後戻りできない。雇用が安定していた時はそれでよかったのですが、今日のような状況なると、そこから外れてしまうと、もう一度社会に参加していくことが難しくなってしまう。北欧では、雇用でつまづいても、もう一度学び直す、グレードアップして次の職につくということができるんです。そうすると大学の役割も変わってくるわけです。
現在、国は、労働市場の規制を緩和し、雇用の流動化をすすめていこうという流れにありますが、その考え方といっしょですか?新自由主義的考え方?
違います。セキュリティがセットではないですから。でも自分の真意が伝わらず、僕は北欧型新自由主義と呼ばれることもあって(笑)小泉さんのころから新自由主義を批判してきたつもりなんですが。
北欧のような社会になっていけばいいと?
日本は北欧のようにこれ以上の税負担は難しいと思われるので、セキュリティの担い手が政府だけではなくて、やっぱり社会的企業というか、民間の力を使っていくことになっていくかと。かつての日本企業は、雇用を通して社会に貢献するというミッションを持っていたと思うんですけど、その意識を強化していく必要があると思います。
近江商人の三方よしの考え方ですね。「売り手よし、買い手よし、世間よし」ですね。
どう企業の成長と社会の豊かさを繋ぎ直すか。強い社会なくして強い企業はないわけですよね。そこをうまくつないでいけば、日本オリジナルのソーシャルインクルージョン社会ができてくるのではないかと考えています。
【宮本 太郎(みやもと・たろう)】1958年東京都生まれ。中央大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学後、ストックホルム大学客員研究員、立命館大学教授、北海道大学大学院法学研究科教授をへて、中央大学法学部教授。著書に『社会的包摂の政治学』『生活保障—排除しない社会へ』他多数。